芋掘り師、Darwinへ渡る。
半年もBundabergという田舎町で農業をした。
周りの友人がブルーベリーだったりアボカドだったりパッションフルーツだったりの何やら聞こえの良い仕事をしてる中、ほとんど芋掘りだった。
芋っぽい風体のせいだろうか、芋農場を5、6は渡り歩いて最後の農場では4ヶ月も「芋掘り特専隊」みたいなのに所属していた。
一番の古株だったし俺が恐らくギニューだったと思う。紫のやつね。
間違いなく80人位はいるであろうバッパーで指折りの芋掘り師になっていた。
余談だがケニア出身の友人が
「俺の国でWATARUは芋って意味だぜ。だから俺はお前の名前を聞いた時すでに芋農場で働いてるってわかったぜ」
と言ってきた。知るか。
88日間又は同じ農場で三ヶ月間働くと二年目のAUS滞在の許可が下りるビザを発行してもらえる。
そのビザを取得するだけの為に農業に従事し、それを終えたら駆け出す速度で大半の人はBundabergを離れて街に出て好きなことをする。
だから半年も滞在しているとよく
「お前なんで半年もいるんだ。ビザ取れたなら街に出ろ。芋掘り好きなのか?」
なんて聞かれる。
それが面倒というか、少しケツを叩かれて「こらお前ちゃんと走れ」と言われている気がしてうんざりしていたので最後の一ヶ月位は
「あと一週間でもうこの街出るよ。」
と適当放いていた。
そのせいでローカルの一緒に働いていたファーマーに
「よし最後の週末になるなら飲もう!」
と2、3回言わせてしまった。
結局最後の週末は彼と会う前にしこたま飲んで送られてきた英文の意味が理解できなくて彼とは会えなかった。
日本で会おうなアンディ。
話が逸れたが芋掘りは好きじゃなかった。
毎日砂だらけで顔の穴という穴から赤土混じりの汚れが出た。
鼻糞なのか鼻水なのかわからない赤土色の何かをシャワーを浴びながらスンスンして出した。
風呂上がりに耳かきをするとこれまた真っ赤な土が付いていた。中耳系統の病気かな?とも疑った。
眼も仕事終わりは毎回、コンタクトレンズを外して洗った後にまたつけ直していた。目頭から赤土の付いた目脂が出た。
芋のツルを掴みすぎて仕事の翌朝は手がグーの状態から開かなかったこともよくあった。
「こんな事長くやってられないなぁ。この先どうしたものか。とほほ。」
と考えているうちに半年経った。
要するに嫌々言いながら重い腰がなかなか持ち上がらなかったのだ。
22年くらい生きている訳だけど恐らく親父の金玉にいるうちから腰は重かったと思う。
この性格で生命誕生までの競争に勝てたのは他の優勝候補の精子達が無鉄砲に突っ走り罠か何かに引っ掛かったからだろう。
それを見ながら、あぁ、そんなに焦るから。とつぶやきその横を猫背で歩いて抜かしたに違い無い。
そして罠が無くなったのを指差し確認してから最後の直線だけ溜めておいた?力を振り絞って一気にゴール。
最近自分はこういう生き物なんだと実感している。
今回はある友人に手招いてもらって重い腰が上がった。丁度ケツの穴から根が伸び始めそうだったので助かった。うんこの事ではない。比喩だ。
合縁奇縁でAUS二日目に一人寂しく教会で夕食を取っていたら彼から声を掛けてくれて知り合った。
一度彼はBundabergを離れたのだけど良い仕事がありそうだったのでその後僕から「戻って来ませんか」と言ったら色々あって戻って来てまた同じバッパーで働いた。
そして少し前に彼がまたBundabergを出て新たに豪州北部にある国立公園で仕事を初めてどうやらまだ空席があるとのことだったのでおんぶに抱っこで新しい仕事場が決まった。
そこからは例のお得意ラストスパートで二日の間に準備と別れの挨拶を済ませてBundabergからおさらばした。その時彼が「恩返しができました」と言ってくれて恐れ多いなと思いながらも良い「ご縁に恵まれたなぁ。なむなむ。」と手をこすり合わせてDarwin行きのチケットを取った。
あとやっぱりバラマンディへの恐ろしく強い憧憬があった。釣りたい。バラマンディが釣りたい。
そして現在Darwin空港にいる。
経営者が多忙?の為コンタクトを取るのですら少々骨が折れるといった状況で既にこれを書きながら13時間は経っている。
スムーズなのかそうでないのかわからないけれど確かに前進はしてる。
面白そうな所に滞在するのでまた近々。